多くの非平衡系では,ノイズのスペクトル密度が低周波で
$$\begin{align} S(\omega)\propto \frac{1}{\omega} \end{align}$$の形を示すことがある.これがいわゆる 1/f ノイズ(フリッカーノイズ)である.電子回路の電圧揺らぎ,固体の抵抗揺らぎ,磁性体のゆらぎ,さらには生体信号に至るまで,極めて広い文脈で観測されることが知られている.
まず押さえておきたいのは,1/f ノイズに「唯一のミクロ起源」は存在しないという点である.欠陥やトラップ,ドメインの緩和,ガラス的自由度など,系ごとに具体的なメカニズムは多様である.それでも同じスペクトル形が繰り返し現れるのは,個別の機構よりも,それらが共有する構造があるからだ.
緩和時間の重ね合わせという見方 ¶
1/f ノイズを理解する最も標準的な考え方は,「多数の緩和過程の重ね合わせ」である.単一の緩和時間 $\tau$ を持つ自由度が生むスペクトルは,典型的には
$$\begin{align} S_\tau(\omega)\propto \frac{1}{1+\omega^2\tau^2} \end{align}$$のような Lorentz 型になる.これはごく普通の Markov 的な緩和の反映であり,低周波では一定,高周波では $\omega^{-2}$ で減衰する.
ところが,緩和時間が一つに定まらず,$\tau$ が対数的に広い範囲に分布していると状況が変わる.とくに
$$\begin{align} P(\tau)\propto \frac{1}{\tau} \end{align}$$のような分布が $\tau_{\min}\ll\tau\ll\tau_{\max}$ の範囲で成立するとき,全体のスペクトル
$$\begin{align} S(\omega)\propto \int_{\tau_{\min}}^{\tau_{\max}} d\tau P(\tau)S_\tau(\omega) \end{align}$$は,中間の周波数帯 $1/\tau_{\max}\ll \omega \ll 1/\tau_{\min}$ で $S(\omega)\propto 1/\omega$ を与える.要するに,スペクトルの $\omega^{-1}$ は,単一の異常な自由度の痕跡ではなく,緩和時間が階層的に広がった集団の寄与として現れる.
なぜ緩和時間は広く分布するのか ¶
緩和時間が広く分布する理由は系ごとに違うが,よくある状況は「活性化障壁の分布」である.緩和がエネルギー障壁 $E$ を越える過程で決まるとき,
$$\begin{align} \tau \sim \tau_0 e^{E/k_{\mathrm B}T} \end{align}$$となり,障壁 $E$ がある範囲でほぼ一様に分布していれば,$\tau$ は自然に $P(\tau)\propto 1/\tau$ を持つ.欠陥の多い固体や乱れた系,ガラス的自由度を含む環境では,こうした状況はむしろ例外ではない.
本書の視点:時間スケール分離が崩れているサイン ¶
本書の粗視化の言語で見ると,1/f ノイズは「時間スケール分離が成立していない」ことの可視化だと理解できる.第8章で見たように,環境自由度を消去すると,有効方程式には記憶核と雑音相関が同時に現れる.Markov 近似や白色雑音近似が有効であるためには,環境の相関が十分短時間で減衰し,記憶核が局所化できることが必要になる.
しかし 1/f ノイズが現れているとき,環境は単一の相関時間を持たず,長い時間スケールが階層的に残っている.その結果,記憶核は指数関数のように速く減衰せず,長い裾を持つ.この意味で 1/f ノイズは,理論が「複雑すぎる」ことを示すのではなく,粗視化した記述を Markov 型に閉じるという試みがどこで破綻するかを教える警告灯として働く.
第9章で整理した散逸・ノイズ・エントロピー生成が同じ射影構造から現れるという見通しは,この文脈でも有効である.1/f ノイズは非平衡性の原因ではなく,粗視化された記述がどこまで通用するかを教えてくれる指標なのである.