KMS条件はしばしば「虚時間に周期性がある(だからMatsubara形式が使える)」という計算上の性質として紹介される.しかしそれは結果であって本質ではない.KMS条件が言っているのは,平衡とは「相関関数がある対称性を満たす」ということであり,その対称性の中身は
時間発展と熱分布が,同じ生成子 $H$ によって結び付いている
という一点に尽きる.この一点から,虚時間シフト,詳細釣り合い(正負周波数の比),揺動散逸関係(応答と雑音の結び付き)までが連鎖的に出てくる.
KMS条件の最小形:トレースの巡回性 ¶
平衡(Gibbs)状態の期待値を
$$\begin{align} \langle O\rangle_\beta \equiv \frac{1}{Z}\mathrm{Tr}\left(e^{-\beta H} O\right) \qquad (Z=\mathrm{Tr} e^{-\beta H}) \end{align}$$で定義し,Heisenberg表示 $A(t)=e^{iHt}Ae^{-iHt}$ を用いる.このとき相関関数のKMS関係は
$$\begin{align} \langle A(t)B(0)\rangle_\beta=\langle B(0)A(t+i\beta)\rangle_\beta \end{align}$$である.式の形は「時刻を $i\beta$ だけずらす」という不思議な規則に見えるが,背後は単純で,トレースの巡回性と
$$\begin{align} e^{-\beta H}A(t)=A(t+i\beta)e^{-\beta H} \end{align}$$という恒等式だけである.後者は「時間を進める操作」と「ボルツマン重みをかける操作」が同じ $H$ で生成されることを,そのまま数式にしたものだと読める.
厳密にはKMS条件は,相関関数が複素時間平面の帯領域 $0<\mathrm{Im} z<\beta$ に解析的に延長できることと,その境界値が上の関係を満たすことを合わせて述べる.しかし物理的な要点は,上の一行に凝縮されている.
詳細釣り合いとして読む:正負周波数の比 ¶
KMS条件の「測れる姿」は,周波数空間で最も分かりやすい.例として,ある(エルミートな)観測量 $X$ の動的相関
$$\begin{align} S(\omega)\equiv \int_{-\infty}^{\infty}dt e^{i\omega t}\langle X(t)X(0)\rangle_\beta \end{align}$$を考える.KMS条件は,正負周波数の比として
$$\begin{align} S(-\omega)=e^{-\beta\omega}S(\omega) \end{align}$$を与える.これは量子版の詳細釣り合いであり,直感的には「$\omega>0$ の吸収過程」と「$\omega<0$ の放出過程」がボルツマン因子で釣り合う,と言っている.
この関係は,散乱実験で現れる動的構造因子 $S(\mathbf q,\omega)$ の関係式としても知られている.KMSは「虚時間」の話である以前に,スペクトルの非対称性(正負周波数の違い)として現れる平衡条件なのである.
揺動散逸関係はKMSの言い換えである ¶
次に,$X$ の相関を二つに分ける.
$$\begin{align} S_{\mathrm{sym}}(\omega)\equiv \frac{1}{2}\int dt e^{i\omega t}\langle \{X(t),X(0)\}\rangle_\beta, \qquad \rho(\omega)\equiv \int dt e^{i\omega t}\langle [X(t),X(0)]\rangle_\beta . \end{align}$$ここで $S_{\mathrm{sym}}$ は(量子的な意味での)雑音,$\rho$ はスペクトル関数(応答に結び付く反対称成分)である.KMS条件からただちに
$$\begin{align} S_{\mathrm{sym}}(\omega)=\frac{1}{2}\coth\left(\frac{\beta\omega}{2}\right)\rho(\omega) \end{align}$$が従う.これが揺動散逸関係の最も中立的な書き方である.さらに線形応答の遅延感受率
$$\begin{align} \chi^R(t)\equiv -i\theta(t)\langle [X(t),X(0)]\rangle_\beta \end{align}$$を導入すれば,$\rho(\omega)=-2\mathrm{Im}\chi^R(\omega)$(規約に依存する符号はここに吸収される)なので,KMS条件は「雑音 $S_{\mathrm{sym}}$ は散逸($\mathrm{Im}\chi^R$)から独立に選べない」と言い換えられる.
高温・低周波($\beta\omega\ll 1$)では $\coth(\beta\omega/2)\simeq 2/(\beta\omega)$ だから,
$$\begin{align} S_{\mathrm{sym}}(\omega)\simeq \frac{T}{\omega}\rho(\omega) \end{align}$$となり,古典的なNyquist型の関係が出る.ここで「量子の平衡」が古典の詳細釣り合いと滑らかにつながっていることも見える.
虚時間周期性は「結果」である ¶
KMS条件を時間領域で読むと,虚時間の境界条件が現れる.例えば
$$\begin{align} C(\tau)\equiv \langle X(-i\tau)X(0)\rangle_\beta \qquad (0<\tau<\beta) \end{align}$$を考えると,KMS条件は $C(\tau+\beta)=C(\tau)$ に対応する(ボース的観測量の場合).これが「虚時間の周期性」の正体である.
ただし,物性で頻繁に使うMatsubara Green関数はしばしば時間順序($T_\tau$)と交換関係(交換子/反交換子)を組み込んだ定義になっているため,その境界条件はボースなら周期,フェルミなら反周期として現れる.ここで起きていることは,KMS条件が「平衡の制約」を与え,統計(分布)に関わる自由度を温度で固定する,という一点で統一される.
KMS条件が言わないこと ¶
KMS条件は「平衡であるなら相関はこうなる」という条件であり,逆向きに
- 系がどうやって平衡へ緩和するか
- 平衡が必ず実現するか(熱化するか)
を保証するものではない.また,非平衡定常状態が見かけ上定常でも,KMSが破れていれば「温度一つで状態が決まる」という縮退は起きない.非平衡で「有効温度」を導入したくなる誘惑がしばしば現れるのは,まさにKMSが失われた後に残る自由度を,温度に押し込めてしまいたくなるからである.