9.2 ノイズ相関と正値性

散逸と同時に生成されるノイズ相関を定義し,確率過程としての整合性条件である正値性を影響汎関数とMori–Zwanzig形式の両方から理解し,量子では非可換性とKMS条件が散逸核との関係を与えることを整理する.

散逸と同時に現れるのがノイズである.ここでいうノイズは,外から「ランダムな力」を仮定して導入するものではない.環境自由度を消去して観測自由度だけの記述に射影すると,消去された自由度が持っていた揺らぎが,観測自由度に対する確率的な駆動として現れる.

この事実は,第8章で見た二つの言語で同じように記述できる.影響汎関数の枠組みでは,消去の結果は影響作用の虚部として現れ,Hubbard–Stratonovich 変換によって確率過程に書き換えられる.Mori–Zwanzig 形式では,射影で落とした $\mathcal Q$ 成分の力が雑音項として現れる.したがって散逸とノイズは独立な仮定ではなく,同一の粗視化操作が生む二つの側面である.

ノイズの定義

影響汎関数の枠組みでは, ノイズは環境自由度を消去した結果として現れる 有効確率過程であり,

$$\begin{align} \begin{aligned} \langle \xi(t) \rangle &= 0,\\ \langle \xi(t)\xi(t') \rangle &= N(t,t') \end{aligned} \end{align}$$

によって特徴づけられる。

ここで相関関数 $N(t,t')$ は,環境自由度の相関構造(初期状態を含む)と,どの自由度を残してどれを捨てたかという射影の選択によって定まる.重要なのは,$N(t,t')$ を都合よく選べる量として扱ってはならない点である.有効理論がミクロな記述と整合する限り,$N$ はモデルから決まるべき量である.

正値性の必然性

ノイズ相関関数 $N(t,t')$ は, 任意の試験関数 $f(t)$ に対して

$$\begin{align} \int dt dt' f(t) N(t,t') f(t') \ge 0 \end{align}$$

を満たさなければならない。

この条件は,確率過程としての整合性を保証するための必要条件であり,Langevin 方程式を確率微分方程式として解釈するための前提でもある.実際,$\eta\equiv\int dt f(t)\xi(t)$ とおけば,上の不等式は分散 $\langle \eta^2\rangle$ が非負であることを主張しているに過ぎない.

同時に,正値性は有効理論の健全性を点検する指標にもなる.粗視化や近似の結果として $N$ の正値性が破れたとき,「雑音を伴う有効方程式」という解釈そのものが破綻する.

Mori–Zwanzig 形式での理解

Mori–Zwanzig 形式では, 雑音項 $F(t)$ は

$$\begin{align} F(t) = e^{t\mathcal Q\Omega}\mathcal Q\Omega A \end{align}$$

と定義されていた。

このとき $\langle F(t)F(t') \rangle$ は $\mathcal Q$ 力学における相関関数であり,内積の正定値性から正値性が自動的に従う.実際,任意の試験関数 $f(t)$ に対して $\eta\equiv\int dt f(t)F(t)$ を考えれば,$\langle \eta^2\rangle\ge 0$ から

$$\begin{align} \int dt dt' f(t)\langle F(t)F(t')\rangle f(t') \ge 0 \end{align}$$

が得られる.つまり正値性は追加の仮定ではなく,射影と内積の選択の帰結として現れる.

量子系における非可換性

量子系では, ノイズ相関は単なる対称化相関ではない。

環境演算子 $Y(t)$ に対して,

$$\begin{align} \langle Y(t)Y(t') \rangle \end{align}$$

$$\begin{align} \langle Y(t')Y(t) \rangle \end{align}$$

は一般に等しくなく, その非可換性が ノイズ相関の構造に直接反映される。

影響汎関数では,実部が散逸核を,虚部がノイズ相関を担うが,両者が同じ環境相関から決まりつつも異なる組み合わせとして現れるのは,演算子の非可換性のためである.より具体的には,散逸核は交換子に基づく応答(レターデッド成分)と結び付き,ノイズ核は反交換子に基づく対称相関と結び付く.

KMS 条件との関係

平衡環境では, 環境相関関数は KMS 条件を満たす。

この条件は,交換子(応答)と反交換子(揺らぎ)の間に温度因子を伴う関係を与える.その結果,周波数空間ではノイズ相関と散逸核が温度を介して結び付けられ,揺動散逸定理として現れる(規約により係数は変わる).

非平衡ではこの関係が一般に失われる.したがって散逸とノイズが「同時に現れる」ことは普遍だが,両者の大きさの関係が温度だけで固定されるのは平衡に特有の現象である.

ノイズは「自由度選択」の帰結

ノイズは,不確定性の象徴でも無秩序の導入でもない.粗視化で捨てた自由度が持っていた相関構造が,観測自由度に影として現れたものである.ノイズ相関の正値性は,その影が確率過程として解釈できるための最小条件であり,有効理論の整合性を保証する.

まとめ

ノイズ相関は散逸と同じ粗視化操作から同時に生じ,環境相関から決まる.確率過程として意味を持つためには正値性が不可欠であり,Mori–Zwanzig 形式ではそれが射影と内積の正定値性から自動的に従う.量子系では非可換性のために散逸核とノイズ核は異なる組み合わせとして現れるが,平衡では KMS 条件が両者を結び付け,揺動散逸定理として現れる.

次節では, これらの構造が 経路確率の非対称性としてどのように現れ, ゆらぎの定理へとつながるのかを見ていく。


前の節へ目次へ次の節へ

藤本研究室 2022- All rights reserved.