8.5 Mori–Zwanzig形式

射影演算子によるMori–Zwanzig形式を導き,捨てた自由度の成分を形式的に消去すると近似なしに記憶核と雑音項を含む厳密なメモリ方程式が得られることと,近似がどこで入るかを明確にする.

前節では,影響汎関数(影響作用)から一般化 Langevin 方程式が導かれ,記憶核と雑音が同じ粗視化から同時に現れることを見た.Mori–Zwanzig 形式は,同じ内容を 演算子力学/古典力学の一般論として書き下した枠組みである.

射影演算子 $\mathcal P$ と $\mathcal Q=1-\mathcal P$ で自由度を分け,Liouville 方程式を形式的に解いて $\mathcal Q$ 成分を消去すると,近似なしに「記憶核+雑音」を含む厳密なメモリ方程式(一般化 Langevin 形式)が得られる.本節では最小限の導出を示し,雑音項の意味と近似が入る場所を明確にする.

射影演算子の導入

演算子空間(あるいは古典変数の関数空間)に内積 $(A,B)$ を定義する(例:平衡平均,または初期分布に関する平均).観測・記述したい変数の集合 $\{B_i\}$ が張る部分空間への射影 $\mathcal P$ を

$$\begin{align} \mathcal P A = \sum_i (A,B_i) B_i \end{align}$$

のように導入する($\{B_i\}$ が直交正規でない場合は,Gram 行列 $M_{ij}=(B_i,B_j)$ の逆行列を挟んで $\mathcal P A=\sum_{ij}(A,B_i)(M^{-1})_{ij}B_j$ とする).補射影 $\mathcal Q\equiv 1-\mathcal P$ は捨てる自由度の部分空間への射影である.

これは 8.1 で述べた周辺化の「射影としての見方」を,力学変数(演算子)に対して実装したものだと考えればよい.

Liouville 方程式と $\mathcal P/\mathcal Q$ 分解

任意の力学変数 $A(t)$ は Liouville 演算子 $\Omega$ を用いて

$$\begin{align} \frac{d}{dt}A(t)=\Omega A(t) \end{align}$$

に従う.ここで重要なのは,これはあくまで可逆なミクロ力学の等式だという点である.

この式に $1=\mathcal P+\mathcal Q$ を挿入して

$$\begin{align} \frac{d}{dt}\mathcal P A(t)=\mathcal P\Omega\mathcal P A(t)+\mathcal P\Omega\mathcal Q A(t), \end{align}$$

$$\begin{align} \frac{d}{dt}\mathcal Q A(t)=\mathcal Q\Omega\mathcal P A(t)+\mathcal Q\Omega\mathcal Q A(t) \end{align}$$

という連立方程式に書き直す.

$\mathcal Q$ 成分の形式解と厳密なメモリ方程式

第二式は線形方程式なので,$\mathcal Q A(t)$ を形式的に解ける:

$$\begin{align} \mathcal Q A(t)=e^{t\mathcal Q\Omega}\mathcal Q A(0) +\int_0^t ds e^{(t-s)\mathcal Q\Omega} \mathcal Q\Omega \mathcal P A(s). \end{align}$$

これを第一式に代入すると,$\mathcal P A(t)$ に対して

$$\begin{align} \frac{d}{dt}\mathcal P A(t) = \underbrace{\mathcal P\Omega\mathcal P}_{\Omega_{\mathrm{eff}}} \mathcal P A(t) +\int_0^t ds \underbrace{\mathcal P\Omega e^{(t-s)\mathcal Q\Omega} \mathcal Q\Omega\mathcal P}_{K(t-s)} \mathcal P A(s) +\underbrace{\mathcal P\Omega e^{t\mathcal Q\Omega} \mathcal Q A(0)}_{F(t)} \end{align}$$

が得られる.これが Mori–Zwanzig の厳密なメモリ方程式であり,

  • $\Omega_{\mathrm{eff}}$:即時の(局所な)有効生成子,
  • $K(t)$:記憶核(memory kernel),
  • $F(t)$:雑音項(fluctuating force)

が定義として現れる.強調すべき点は,

ここまで一切近似をしていない

ということである.

雑音項の意味:決定論の写像としての「雑音」

雑音項 $F(t)$ は「外から入ってくるランダム力」ではない.式の定義から分かるように,$F(t)$ は

  • 初期時刻に $\mathcal Q$ 部分空間に入っていた成分 $\mathcal Q A(0)$,
  • その後の $\mathcal Q$ 力学 $e^{t\mathcal Q\Omega}$,

が $\mathcal P$ 部分空間へ与える影響を写像したものである.つまり

雑音とは,捨てた自由度の決定論的な力学を,観測自由度の言葉に押し付けたもの

である.われわれが初期の $\mathcal Q$ 成分を知らない(あるいは平均でしか扱わない)とき,$F(t)$ は確率過程として扱われる.

散逸と雑音は同時に生成される

記憶核 $K(t)$ と雑音 $F(t)$ は,同じ $\mathcal Q$ 力学から同時に生成される.したがって,原理的には

  • 散逸だけを残して雑音を捨てる,
  • 雑音だけを仮定して散逸を無視する,

といった切り分けは正当化できない.平衡状態での揺動散逸定理は,この同時生成構造が内積(平均)の選び方によって対称化され,関係式として現れたものに他ならない.

近似はどこで入るか

Mori–Zwanzig 形式の強みは,近似を入れる場所が明確になる点にある.典型的には

  • 記憶核 $K(t)$ を短時間に集中するとみなして局所化する(Markov 近似),
  • 雑音をガウス過程とみなす,
  • 時間スケール分離や弱結合を仮定する,

といった仮定を,厳密なメモリ方程式の後段で導入する.粗視化(射影の選択)と近似(単純化)の違いがここではっきりする.

まとめ

  • Mori–Zwanzig 形式は,射影 $\mathcal P/\mathcal Q$ によって粗視化を力学方程式として書き下す枠組みである.
  • $\mathcal Q$ 成分を形式的に消去すると,記憶核 $K(t)$ と雑音 $F(t)$ を含む厳密なメモリ方程式が得られる.
  • 雑音は「ランダムな仮定」ではなく,捨てた自由度の力学の写像であり,散逸と同時に生成される.

次章では,この粗視化で得られる「記憶核」「散逸」「雑音」が,応答関数や Green 関数,自己エネルギーといった言語でどのように表現されるのかを議論する.


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