前節では,影響汎関数(影響作用)から一般化 Langevin 方程式が導かれ,記憶核と雑音が同じ粗視化から同時に現れることを見た.Mori–Zwanzig 形式は,同じ内容を 演算子力学/古典力学の一般論として書き下した枠組みである.
射影演算子 $\mathcal P$ と $\mathcal Q=1-\mathcal P$ で自由度を分け,Liouville 方程式を形式的に解いて $\mathcal Q$ 成分を消去すると,近似なしに「記憶核+雑音」を含む厳密なメモリ方程式(一般化 Langevin 形式)が得られる.本節では最小限の導出を示し,雑音項の意味と近似が入る場所を明確にする.
射影演算子の導入 ¶
演算子空間(あるいは古典変数の関数空間)に内積 $(A,B)$ を定義する(例:平衡平均,または初期分布に関する平均).観測・記述したい変数の集合 $\{B_i\}$ が張る部分空間への射影 $\mathcal P$ を
$$\begin{align} \mathcal P A = \sum_i (A,B_i) B_i \end{align}$$のように導入する($\{B_i\}$ が直交正規でない場合は,Gram 行列 $M_{ij}=(B_i,B_j)$ の逆行列を挟んで $\mathcal P A=\sum_{ij}(A,B_i)(M^{-1})_{ij}B_j$ とする).補射影 $\mathcal Q\equiv 1-\mathcal P$ は捨てる自由度の部分空間への射影である.
これは 8.1 で述べた周辺化の「射影としての見方」を,力学変数(演算子)に対して実装したものだと考えればよい.
Liouville 方程式と $\mathcal P/\mathcal Q$ 分解 ¶
任意の力学変数 $A(t)$ は Liouville 演算子 $\Omega$ を用いて
$$\begin{align} \frac{d}{dt}A(t)=\Omega A(t) \end{align}$$に従う.ここで重要なのは,これはあくまで可逆なミクロ力学の等式だという点である.
この式に $1=\mathcal P+\mathcal Q$ を挿入して
$$\begin{align} \frac{d}{dt}\mathcal P A(t)=\mathcal P\Omega\mathcal P A(t)+\mathcal P\Omega\mathcal Q A(t), \end{align}$$$$\begin{align} \frac{d}{dt}\mathcal Q A(t)=\mathcal Q\Omega\mathcal P A(t)+\mathcal Q\Omega\mathcal Q A(t) \end{align}$$
という連立方程式に書き直す.
$\mathcal Q$ 成分の形式解と厳密なメモリ方程式 ¶
第二式は線形方程式なので,$\mathcal Q A(t)$ を形式的に解ける:
$$\begin{align} \mathcal Q A(t)=e^{t\mathcal Q\Omega}\mathcal Q A(0) +\int_0^t ds e^{(t-s)\mathcal Q\Omega} \mathcal Q\Omega \mathcal P A(s). \end{align}$$これを第一式に代入すると,$\mathcal P A(t)$ に対して
$$\begin{align} \frac{d}{dt}\mathcal P A(t) = \underbrace{\mathcal P\Omega\mathcal P}_{\Omega_{\mathrm{eff}}} \mathcal P A(t) +\int_0^t ds \underbrace{\mathcal P\Omega e^{(t-s)\mathcal Q\Omega} \mathcal Q\Omega\mathcal P}_{K(t-s)} \mathcal P A(s) +\underbrace{\mathcal P\Omega e^{t\mathcal Q\Omega} \mathcal Q A(0)}_{F(t)} \end{align}$$が得られる.これが Mori–Zwanzig の厳密なメモリ方程式であり,
- $\Omega_{\mathrm{eff}}$:即時の(局所な)有効生成子,
- $K(t)$:記憶核(memory kernel),
- $F(t)$:雑音項(fluctuating force)
が定義として現れる.強調すべき点は,
ここまで一切近似をしていない
ということである.
雑音項の意味:決定論の写像としての「雑音」 ¶
雑音項 $F(t)$ は「外から入ってくるランダム力」ではない.式の定義から分かるように,$F(t)$ は
- 初期時刻に $\mathcal Q$ 部分空間に入っていた成分 $\mathcal Q A(0)$,
- その後の $\mathcal Q$ 力学 $e^{t\mathcal Q\Omega}$,
が $\mathcal P$ 部分空間へ与える影響を写像したものである.つまり
雑音とは,捨てた自由度の決定論的な力学を,観測自由度の言葉に押し付けたもの
である.われわれが初期の $\mathcal Q$ 成分を知らない(あるいは平均でしか扱わない)とき,$F(t)$ は確率過程として扱われる.
散逸と雑音は同時に生成される ¶
記憶核 $K(t)$ と雑音 $F(t)$ は,同じ $\mathcal Q$ 力学から同時に生成される.したがって,原理的には
- 散逸だけを残して雑音を捨てる,
- 雑音だけを仮定して散逸を無視する,
といった切り分けは正当化できない.平衡状態での揺動散逸定理は,この同時生成構造が内積(平均)の選び方によって対称化され,関係式として現れたものに他ならない.
近似はどこで入るか ¶
Mori–Zwanzig 形式の強みは,近似を入れる場所が明確になる点にある.典型的には
- 記憶核 $K(t)$ を短時間に集中するとみなして局所化する(Markov 近似),
- 雑音をガウス過程とみなす,
- 時間スケール分離や弱結合を仮定する,
といった仮定を,厳密なメモリ方程式の後段で導入する.粗視化(射影の選択)と近似(単純化)の違いがここではっきりする.
まとめ ¶
- Mori–Zwanzig 形式は,射影 $\mathcal P/\mathcal Q$ によって粗視化を力学方程式として書き下す枠組みである.
- $\mathcal Q$ 成分を形式的に消去すると,記憶核 $K(t)$ と雑音 $F(t)$ を含む厳密なメモリ方程式が得られる.
- 雑音は「ランダムな仮定」ではなく,捨てた自由度の力学の写像であり,散逸と同時に生成される.
次章では,この粗視化で得られる「記憶核」「散逸」「雑音」が,応答関数や Green 関数,自己エネルギーといった言語でどのように表現されるのかを議論する.