第III部では,ミクロ自由度をすべて追跡する代わりに,観測・制御したい自由度だけで閉じた記述を作る.このとき最初にしなければならないのは,「どの自由度を残し,どの自由度を捨てるのか」を,あいまいな直感ではなく数式として固定することである.
本章では,粗視化を周辺化(量子なら部分トレース)として定義し,さらに射影演算子の言葉に翻訳する.この視点に立つと,散逸や雑音は「入れてよい項」ではなく,環境自由度を消去した結果として一般に避けられない構造であることが見えてくる.とくに非平衡では,基本対象を状態ではなく経路確率として扱うことが本質的であり,その言葉で粗視化を実装すると,記憶(非マルコフ性)がほとんど必然として現れる.
本章の構成 ¶
粗視化を「平均」ではなく,確率(密度行列)から周辺量を作る操作として定義する.この時点で情報が失われるため,粗視化は不可逆な写像になることを確認し,射影としての見方へつなげる.
キーポイント:
- 粗視化は周辺化(量子なら部分トレース)として定義される
- 正規化を保ったまま情報が失われる(不可逆性の起点)
- 周辺化は射影演算子として整理できる
非平衡で自然な基本対象である経路確率に対して粗視化を定義する.全系がマルコフ過程でも,経路空間で周辺化すると有効理論は一般に非マルコフになることを,式で見通しよく示す.
キーポイント:
- 非平衡では状態分布より経路確率が基本になる
- 粗視化は経路全体の周辺化として実装される
- 全系がマルコフでも有効理論は一般に記憶を持つ
量子系では閉時間経路上の経路積分が自然な舞台になる.Feynman–Vernon の影響汎関数により,環境自由度の消去が系の二本の経路 $X^\pm$ に対する重みとして集約されることを整理し,記憶・散逸・雑音が同じ構造から現れることを理解する.
キーポイント:
- 非平衡量子論では閉時間経路により経路が二重化される
- 影響汎関数が環境の効果を $X^\pm$ の汎関数としてまとめる
- 散逸(実部)と雑音(虚部)は同じ消去操作の両面である
影響汎関数を影響作用へ指数化し,有効作用としてまとめる.Keldysh 回転により古典成分と量子成分に分解し,量子成分での変分から有効運動方程式を得ることで,記憶核を伴う散逸と雑音相関が同時に立ち上がることを示す.
キーポイント:
- 影響作用 $S_{\mathrm{IF}}$ が環境効果を作用に押し込める
- Keldysh 回転で $X_{\mathrm{cl}}$ と $X_{\mathrm{q}}$ を分離する
- 変分と Hubbard–Stratonovich で一般化Langevin方程式が得られる
同じ内容を,演算子力学(あるいは古典力学)の一般論として書き下すのが Mori–Zwanzig 形式である.射影演算子 $\mathcal P/\mathcal Q$ で自由度を分け,厳密な「記憶核+雑音」形式が近似なしに得られること,そして近似がどこで入るかを明確にする.
キーポイント:
- 射影演算子で観測部分空間への縮約を実装する
- 形式解により記憶核と雑音項が厳密に現れる
- Markov化などの近似は最後に追加仮定として入る
章のまとめ ¶
本章では,粗視化を数学的に固定することで,有効理論が何を仮定し,どこまでが必然かを整理した.
- 粗視化は周辺化(部分トレース)であり,正規化を保ったまま情報を捨てる不可逆な写像である.
- 粗視化を経路空間で定義すると,記憶(非マルコフ性)は一般に避けられない.
- 影響汎関数/有効作用の枠組みでは,散逸と雑音が同じ消去操作から同時に現れる.
- Mori–Zwanzig 形式は同じ構造を射影演算子で表し,近似が入る場所を可視化する.