第5章では,平衡ではKMS条件によって揺らぎと応答が結び付く一方,非平衡では揺らぎが独立自由度として残ることを見た.この事実を最初から保持したまま理論を組み立てる枠組みがSchwinger–Keldysh形式である.本章では,実時間そのものを舞台にして期待値を定義し直し,閉時間経路(Keldysh経路)がどこから現れるのかを確認する.
期待値の基本形 ¶
非平衡問題で基本となる量は,初期状態 $\rho_0$ からの時間発展で定義される期待値
$$\begin{align} \langle O(t)\rangle = \mathrm{Tr}\left(\rho_0 U^\dagger(t,t_0) O U(t,t_0)\right) \end{align}$$である.重要なのは,時間発展が右から $U$ と左から $U^\dagger$ の二回現れることである.この「二重化」は非平衡だから導入されるのではなく,量子力学の期待値の定義そのものに由来する.
前進枝と後退枝 ¶
上の式は,同じ時間区間を
- 前向き($t_0\to t$)に進む時間発展 $U$,
- 後ろ向き($t\to t_0$)に戻る時間発展 $U^\dagger$,
の二つとして同時に扱っていると解釈できる.この二つを一枚の図として描くと,初期時刻 $t_0$ から未来へ進み,再び $t_0$ に戻る閉じた時間経路が自然に現れる.
閉時間経路(Keldysh経路) ¶
この閉じた経路 $\mathcal C$ を用いると,期待値は経路順序演算子 $T_{\mathcal C}$ を使って
$$\begin{align} \langle O(t)\rangle = \mathrm{Tr}\left( \rho_0 T_{\mathcal C}\exp\left[-i\int_{\mathcal C} dt' H(t')\right] O \right) \end{align}$$の形に書ける.ここでの時間積分は,前進枝と後退枝を合わせた経路に沿って行われる.
この形の利点は,初期状態 $\rho_0$ を出発点として,その後の時間発展を実時間で一貫して扱えることである.虚時間形式のように「終状態」を仮定する必要はない.
何を仮定しているか ¶
Schwinger–Keldysh形式の定義に必要なのは,基本的に
- 初期状態 $\rho_0$ が与えられていること,
- 時間発展がユニタリであること,
だけである.平衡,時間並進対称性,熱浴の存在といった仮定はここには含まれていない.平衡は,この一般形式にKMS条件という追加の制約を課した特殊な場合として位置づけられる.
まとめ ¶
- 期待値の定義自体が $U$ と $U^\dagger$ の二重化を含み,閉時間経路はそこから必然的に現れる.
- Schwinger–Keldysh形式は実時間で初期状態からの時間発展を扱う最も一般的な枠組みである.
- 平衡はこの枠組みの特殊点であり,定義の段階では平衡を仮定しない.
次節では,閉時間経路上で定義される二点関数(経路順序Green関数)を導入し,そこから自然に現れる4成分の意味を整理する.