前節では,揺らぎ(相関)と応答(散逸)は一般には独立であり,平衡がその独立性を失わせる特殊な状況であることを強調した.本節では,平衡で成立する揺動散逸定理(FDT)の代表的な形を示し,それが「何が減った(固定された)のか」という観点から物理的意味を整理する.
周波数空間での代表的な形 ¶
まず,どの量が何を測っているのかを明確にする.外場 $f(t)$ が観測量 $B$ に結合する
$$\begin{align} H\ \to\ H - f(t)B \end{align}$$という摂動を考えると,線形応答は遅延Green関数(感受率)
$$\begin{align} G^R_{BB}(t)\equiv -i\theta(t)\langle[B(t),B(0)]\rangle \end{align}$$によって
$$\begin{align} \delta\langle B(t)\rangle=\int dt'\,G^R_{BB}(t-t')\,f(t') \end{align}$$と書ける.周波数空間では,$G^R(\omega)$ の虚部が応答の「散逸成分」を担う.実際,正弦外場で駆動したとき,平均吸収パワーは $\mathrm{Im}\,G^R(\omega)$ のみによって決まる(後述).
一方,外場がなくても存在する自発的揺らぎは,対称相関
$$\begin{align} C_{BB}(t)\equiv \frac{1}{2}\langle\{B(t),B(0)\}\rangle \end{align}$$(そのフーリエ変換 $C_{BB}(\omega)$)で記述される.これは実験的には雑音スペクトルに対応する量である.
この二つを結ぶ鍵がスペクトル関数
$$\begin{align} \rho_{BB}(\omega)\equiv -2\,\mathrm{Im}\,G^R_{BB}(\omega) \end{align}$$である(等価に $\rho=i(G^R-G^A)$).ボース系ではFDTが
$$\begin{align} C_{BB}(\omega) = \frac{1}{2}\coth\left(\frac{\beta\omega}{2}\right)\rho_{BB}(\omega) \end{align}$$が成り立つ.左辺は外場なしの揺らぎ(雑音)であり,右辺は応答の虚部(散逸)に温度因子が掛かった形になっている.この式は,揺らぎの大きさが散逸の強さと温度によって固定されることを意味する.
温度因子は分布関数で書き直せる.ボース分布 $n_B(\omega)=1/(e^{\beta\omega}-1)$ を用いると
$$\begin{align} \frac{1}{2}\coth\left(\frac{\beta\omega}{2}\right) = \frac{1}{2}+n_B(\omega) \end{align}$$であり,$1/2$ が零点揺らぎ,$n_B$ が熱励起による寄与を表している.この「量子の $1/2$」があるために,$T\to 0$ でも揺らぎが消えないことが強調される.
Keldysh形式での一行版 ¶
Keldysh表示では,FDTはさらに簡潔に書ける.ボース系の例では
$$\begin{align} G^K(\omega) = \coth\left(\frac{\beta\omega}{2}\right)\bigl(G^R(\omega)-G^A(\omega)\bigr) \end{align}$$である.ここでKeldysh成分は
$$\begin{align} G^K_{BB}(t)\equiv -i\langle\{B(t),B(0)\}\rangle \end{align}$$で定義され,対称相関とは $C_{BB}(\omega)=\frac{i}{2}G^K_{BB}(\omega)$ の関係にある(規約による $i$ の配置だけが違う).$G^R,G^A$ が力学(因果性・スペクトル)を担い,$G^K$ が統計(揺らぎ・分布)を担う,という役割分担がここで明確になる.平衡では,統計成分が温度とスペクトルから完全に固定される.
この形は,平衡では「分布」に相当する因子が普遍的に $\coth(\beta\omega/2)$ へ固定されることを示している.非平衡でもしばしば
$$\begin{align} G^K(\omega)=F(\omega)\bigl(G^R(\omega)-G^A(\omega)\bigr) \end{align}$$と書いて $F(\omega)$ を分布関数の一般化として扱うが,平衡では $F(\omega)$ が温度だけで決まってしまう.
物理的意味:独立自由度の消失 ¶
非平衡では,一般に,応答($G^R$)と揺らぎ($G^K$)は独立である.FDTが成り立つということは,この独立性が失われ,「揺らぎはもはや独立な入力ではない」ことを意味する.平衡は情報が極限まで捨てられた状態であり,その結果としてGreen関数の自由度が減る.FDTはその事実を最も分かりやすい形で言い換えている.
この点は別の言い方もできる.一般に二点関数には
- 交換子(散逸・因果性)
- 反交換子(雑音・統計)
という二種類の情報が入るが,平衡ではそれらが温度因子を介して結び付けられ,一方を指定すれば他方が決まる.「平衡は単純である」とは,まさにこの情報縮約が起きていることを指す.
物理的意味:仕事と雑音の同一性 ¶
応答の虚部は外場によるエネルギー吸収(散逸)に関係し,一方で相関関数は自発的な揺らぎ(雑音)を表す.FDTは,散逸と雑音が同じ温度によって結び付いていることを主張する.言い換えれば,「エネルギーを吸収する能力」と「自発的に揺らぐ能力」が同じ起源を持つのが平衡である.
この「仕事」という言葉を少しだけ具体化しておく.結合 $-f(t)B$ の下で,外場がする仕事率は外場の時間変化により
$$\begin{align} \dot W(t)=-\dot f(t)\,\langle B(t)\rangle \end{align}$$で与えられる.$f(t)=f_0\cos\omega t$ のような正弦駆動では,$B(t)$ は一般に位相遅れを伴って応答し,時間平均した吸収パワーは
$$\begin{align} \overline{\dot W}\ \propto\ \omega |f_0|^2\,\mathrm{Im}\,G^R_{BB}(\omega) \end{align}$$となる(比例係数は規約に依存).したがって $\mathrm{Im}\,G^R$ は「どの周波数でエネルギーを吸収できるか」を測る量である.FDTは,この吸収スペクトルが分かれば,自発雑音 $C_{BB}(\omega)$ も温度を介して同時に決まることを述べている.
例えば電気伝導では,電流の応答(導電率の散逸成分)と電流雑音がFDTで結び付く.散逸が大きい導体ほど熱雑音も大きい,という直観はこの一般原理の具体例である.
古典極限と量子性 ¶
FDTの温度因子は極限で直観的な形になる.低周波(あるいは高温)極限 $\beta\omega\ll 1$ では
$$\begin{align} \frac{1}{2}\coth\left(\frac{\beta\omega}{2}\right)\simeq \frac{1}{\beta\omega}=\frac{k_B T}{\omega} \end{align}$$となり,
$$\begin{align} C_{BB}(\omega)\simeq \frac{k_B T}{\omega}\rho_{BB}(\omega) \end{align}$$という古典的形を得る.一方 $T\to 0$ では $\coth(\beta\omega/2)\to \mathrm{sgn}(\omega)$ となり,零点揺らぎが残ることが明示される.
まとめ ¶
- FDTは平衡において揺らぎ(相関)と応答(散逸)を温度で結び付ける.
- Keldysh形式では,統計成分 $G^K$ が力学成分 $G^R,G^A$ によって固定されることとして表現される.
- FDTは新しい仮定ではなく,平衡(KMS条件)が課す強い制約の言い換えである.
次節では,この「FDTはKMS条件の帰結である」という主張を,lesser/greater Green関数を用いて最小限の手順で確認する.