前節では,因果性が周波数空間での解析性として現れることを見た.解析性が与える最も強力な道具の一つが,Green関数を「実軸上の不連続」によって表すスペクトル表示である.スペクトル表示は,平衡・非平衡を問わず成り立つ(成り立つべき)構造であり,Matsubara形式と実時間形式が同じ物理を共有していることを明確にする.
スペクトル表示とスペクトル関数 ¶
遅延Green関数は,適切な条件のもとで
$$\begin{align} G^R(\omega) = \int_{-\infty}^{\infty}\frac{d\omega'}{2\pi} \frac{\rho(\omega')}{\omega-\omega'+i0^+} \end{align}$$という分散関係で書ける.ここで $\rho(\omega)$ がスペクトル関数であり,
$$\begin{align} \rho(\omega)=-2 \mathrm{Im} G^R(\omega) \end{align}$$で定義される.スペクトル関数は「どのエネルギーで励起が存在し,どれだけ応答に寄与するか」を表す量であり,ピーク位置・幅(寿命)・重みといった実験的に観測される情報がここに集約される.
重要なのは,この表式が新たな仮定ではないことである.因果性により $G^R(\omega)$ は上半平面で解析的となり,無限遠で十分に減衰する場合には Cauchy積分公式から実部と虚部を結ぶ分散関係(Kramers–Kronig関係)が成り立つ.これを虚部 $\rho(\omega)\equiv -2\mathrm{Im}G^R(\omega)$ で書き直したものが,上のスペクトル表示である.言い換えれば,Green関数の情報は実軸上のスペクトル関数に符号化されている.
「力学」と「統計」の分離 ¶
スペクトル関数は,応答(因果性)とハミルトニアンの構造によって決まり,分布関数には依存しない.したがって $\rho(\omega)$ は平衡・非平衡を問わず定義できる.平衡で特別なのは,KMS条件が分布を温度で固定し,揺らぎと応答の関係(FDT)を与える点にある.
この分離は,Keldysh形式の言葉では「$G^R,G^A$ がスペクトルを担い,$G^K$ が分布を担う」という役割分担として現れる.
Matsubara Green関数との関係 ¶
虚時間(Matsubara)Green関数も,同じスペクトル関数を用いて
$$\begin{align} G(i\omega_n) = \int_{-\infty}^{\infty}\frac{d\omega'}{2\pi} \frac{\rho(\omega')}{i\omega_n-\omega'} \end{align}$$と表される.この式は,Matsubara形式が実時間形式と同一のスペクトル関数を共有していることを明示している.虚時間は「別の物理」を導入しているのではなく,同じ情報を虚軸上で見ているにすぎない.
解析接続の意味 ¶
スペクトル表示があるからこそ,
$$\begin{align} i\omega_n \to \omega+i0^+ \end{align}$$という解析接続が意味を持つ.解析接続は情報を付け加える操作ではなく,同じ解析関数を異なる領域から読み取る操作である.したがって,解析接続の可否は「できる/できない」という手続きの問題ではなく,もともと相関関数が必要な解析構造を持っているかどうかで決まる.
まとめ ¶
- スペクトル表示は因果性と解析性の帰結であり,Green関数の情報はスペクトル関数に符号化される.
- スペクトル関数は励起の位置・寿命・重みを与え,平衡・非平衡を問わず定義できる.
- 平衡で特別なのは,KMS条件が分布を温度で固定し,揺らぎと応答を結び付ける点である.
- 解析接続は情報の追加ではなく,同一の解析構造の読み替えである.
次節では,これらの議論をまとめ,なぜMatsubara形式から実時間の応答を得る解析接続が物理的に正当化されるのかを,必要十分な条件として整理する.