3.2 解析性と因果律

遅延Green関数の因果性が周波数空間で上半平面解析性として現れることを示し,Kramers–Kronig関係やスペクトル表示の基礎を与える.

前節では,虚時間やWick回転が平衡相関関数の構造から自然に現れることを見た.しかしここで一つ疑問が残る.なぜ相関関数をわざわざ複素時間や複素周波数で考える必要があるのか.その答えは,因果性が相関関数に解析的構造を要求するからである.

本節では,線形応答の因果性が周波数空間での解析性として現れることを示し,その直接の帰結としてKramers–Kronig関係やスペクトル表示が成立する見通しを与える.

因果性の最小要請

因果性の物理的内容は単純である.未来の操作が過去の観測に影響を与えてはならない.線形応答では,この要請は遅延Green関数

$$\begin{align} G^R(t) = -\frac{i}{\hbar} \theta(t) \langle [A(t),B(0)] \rangle \end{align}$$

として数式に埋め込まれる.$\theta(t)$ が「応答は $t<0$ でゼロ」という時間の向きを明示している.

因果性から周波数空間の解析性へ

遅延Green関数をフーリエ変換すると

$$\begin{align} G^R(\omega) = \int_{0}^{\infty} dt e^{i\omega t} \left( -\frac{i}{\hbar} \langle [A(t),B(0)]\rangle \right) \end{align}$$

となる.ここで $\omega=\omega_{\mathrm{R}}+i\omega_{\mathrm{I}}$ と書けば

$$\begin{align} e^{i\omega t}=e^{i\omega_{\mathrm{R}} t} e^{-\omega_{\mathrm{I}} t} \end{align}$$

であるから,$\omega_{\mathrm{I}}>0$ では指数因子 $e^{-\omega_{\mathrm{I}} t}$ が大きな $t$ を抑える.したがって(適当な成長条件のもとで)上の積分は $\omega_{\mathrm{I}}>0$ で収束し,$G^R(\omega)$ は上半平面で正則となる.1 より安全には,最初から収束因子 $\eta>0$ を入れて

$$\begin{align} G^R(\omega) \equiv \int_{0}^{\infty} dt e^{i(\omega+i\eta) t} \left( -\frac{i}{\hbar} \langle [A(t),B(0)]\rangle \right) \qquad (\eta>0) \end{align}$$

と定義し,最後に $\eta \to 0^+$ の極限を取ればよい.このとき $\mathrm{Im} \omega>0$ では $G^R(\omega)$ は $\omega$ に関して正則である.実周波数上の遅延Green関数は,上半平面からの境界値

$$\begin{align} G^R(\omega)=\lim_{\eta \to 0^+}G^R(\omega+i\eta) \end{align}$$

として得られる.この解析性は,新たな数学的仮定ではなく,因果性が積分範囲を $t\ge 0$ に制限することの帰結である.言い換えれば,解析性は因果性の周波数空間での表現である.

Kramers–Kronig関係の意味

上半平面での解析性から,実軸上での分散関係(Kramers–Kronig関係)が従う.例えば

$$\begin{align} \mathrm{Re} G^R(\omega) = \frac{1}{\pi} \mathcal P\int d\omega' \frac{\mathrm{Im} G^R(\omega')}{\omega'-\omega} \end{align}$$

が成り立つ.これは応答の実部(反応)と虚部(散逸)が独立には選べないことを意味する.物理的には,「散逸がある以上,それに整合する反応の仕方が因果性によって決まる」という主張である.

解析性が保証するもの

因果性に由来する解析性があるからこそ,実時間表示・周波数表示・虚時間表示の間を連続的に行き来できる.とくに平衡状態では,KMS条件(虚時間方向の構造)と因果性(周波数平面の解析性)が同時に成り立つため,相関関数は複素時間平面上で強く制限された形をとる.この二つの制約の成立が,後で見るようにWick回転や解析接続を正当化する.

単純な解析構造が失われるとき

因果性そのものは,有効理論や粗視化の後でも保持されるべき性質である.しかし記憶効果が強い場合や,非局所散逸・非Markov性が顕著な場合には,Green関数の解析構造は単純でなくなる.このとき因果性は破れていなくても,「実軸と虚軸の間の素朴な変形」がそのまま許されるとは限らない.解析接続が数値的に難しく見えるのも,この解析構造の繊細さと無関係ではない.

まとめ

  • 因果性($t<0$ で応答がゼロ)は遅延Green関数に $\theta(t)$ として埋め込まれる.
  • 因果性は周波数空間で上半平面解析性として現れ,解析性は仮定ではなく因果性の帰結である.
  • Kramers–Kronig関係は,応答の実部と虚部が因果性によって結び付くことを表す.
  • 平衡ではKMS条件と因果性が同時に成り立ち,複素時間平面での強い制約がWick回転・解析接続を支える.

次節では,この解析性を用いてGreen関数をスペクトル関数で表すスペクトル表示を導入し,「情報がどこに詰め込まれているか」を明確にする.


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  1. 厳密には,積分の収束は被積分関数 $\langle [A(t),B(0)]\rangle$ の $t\to\infty$ での振る舞いにも依存する.しかし物理的には,局所演算子の相関は長時間で指数的に増大することはなく(少なくとも多項式程度の成長か,有界である)と見なせるため,$\omega_{\mathrm{I}}>0$ のもとで上の積分はラプラス変換として収束する.例えば $A,B$ が有界演算子であれば,正規化された状態に対して $|\langle [A(t),B(0)]\rangle|\le 2\|A\| \|B\|$ が成り立ち,$\omega_{\mathrm{I}}>0$ での絶対収束は直ちに従う. ↩︎

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